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2014年5月のプラシタス通信

 

 

 

こころの病

 

カルマもティーチャー

 

 

 

 

仏間のひかり

 

 

 

子馬の親子 

ちょこっと背中が見えているのが寝ているお母さん馬。 

左は1歳のお姉さん馬。 右は春分のころに生まれた子馬。 

村に少しだけ残っている馬の家族。

 

 

後藤王重 ごとうきみえ

 

チャネル ティーチャー スピリチュアル・カウンセラー ヒーラ

アメリカ ニューメキシコ州 プラシタス

 

こころの病 暴力

 

家族のこころの病とどう向き合うか?

 

カルマを Walk-though 通りぬけることで、学ぶことが大きいのかもしれない。

 

家に繰り返し現れるパターン(カルマのようなもの)がある。 暴力、自分を抑えることができない、ヒステリー・・ 

 

自分ができることは、自分はそのパターンを克服するということだが、家族に出てしまうものは、本人の自覚が生まれないことには、わたしがヘルプできることは限られている。

 

それで状況が Bad から Worse だんだん悪化していくわけだが、なにもすることができていない。 Helpless 無力に感じ、Hopeless 望みも消えてくる。

 

なにをしてもよくならない、というところを観て、これは長年家系に継承されてきている性格のパターンが現れていると観える。

 

だから、わたしにできることは、気長にアプローチを続けるということになるのだろう。

 

Never give up. けしてあきらめぬこころ。

希望を捨てぬこころ。

Surrender 宇宙を信頼し、預けて生きるこころ。

 

**************

 

こころが病んで、自分を抑えることができない? 暴力になる? エスカレートすれば怪我をする。 まれに致死に至ることもある。

 

回りはどうするか? できることはすべてやりつくした感がある。 本人に自覚が出ないのは、そこがこころの病を抱えているということになるのだろうか?

 

本人の自覚がないと変化も出ない。

 

観ているわたしは、本人が自滅していくのは仕方がないとして、愛する家族が傷つくのをなんとかしたい。 なんとか力になれないものかと想う。

 

いろいろな事情があり、暴力をふるう家族と別居するのも難しい状況だ。 

 

ひとことでいえばカルマが働いていると感じる。 家系に繰り返し顕れる暴力のパターン、自分を抑えることができないパターン。 本人が自分の問題として意識できるか? いつまでもひとのせいにしていては、自分自身の問題であるとの、自覚も生まれないだろう。

 

Let it go.  Let it run its own courses. 

 

ときに・・ カルマがたどるコースをたどり、いきつくところまでいくしかない、のかもしれない。 それを観ていく勇気も必要とされているかもしれない。

 

カルマが働いている時、当事者たちのたましいは、その苦しみを味わう、経験することで、たいせつなレッソンを学んでいるかもしれない。

 

自分は自分ができることをやってきた。 そういう家族から離れた。 自分を抑えること (セルフ・コントロール) を学んできたと想う。

 

自分は少しく強くなってきたのか? いままた家族に顕れている暴力 自分を抑えることができないカルマと直面している。  自分にそれが顕れているのではなく、家族に顕れている。 

 

自分が少しくそれを乗り越えてきて、今は次のステップに進んでいるということか? 暴力 自分を抑えられない家族に、役にたてるのか?

 

以前パターンは違うがおいが悩んでいる時に、仏間で話をした。 その時は、おいについているひかり (守護霊のようなもの?)が、助けてくださったのか、たいへんにおいが人変わりのようなことをした。

 

ひと変わりが起きるときは、起こる。 それはひとが助けたのではなく、そのひとのなかのなにか、たましい、守護霊、宇宙 ひかりのチームワークで、それが Spontaneous 自然に 宇宙的に起こってしまう。

 

そういうことはあった。

 

今と以前の違いは、やはり本人の自覚にあると想う。 おいの場合は、彼に自覚があった。 自分はこれでは生きていけないという悲痛な思いがあった。 彼のたましいは助けてほしいと叫んだ。 助けてほしいというたましいの叫びを宇宙は聞くと想う。

 

こころが病んでいる場合、たましいが 助けてほしいと 叫んではいないのだろうか? なにか沈殿している。 なにか濁っている感じがする。 

 

澱んでいるところから出てこられないというところが、カルマになるのか?

 

たましいがなにかに幾重にも覆われていて、そのたましいの本質が見えない。 そのたましいを幾重に覆っているなにかたちが、ブロックをしているかのようだ。 彼女が正気に返るといい人間だが、その回りを覆っているなにかたちが、彼女を沈殿して濁った世界に引き戻すようなことが、繰り返し起こる。 

 

それがカルマということか? 正気に返るとき、これではいけないと想う。 想うが自分ではどうしようもできない。 そういう風にそのひとは言う。

 

わたしは自分が摂食障害で苦しみ、47歳のときに、死にかけて、体中の痛みに悲鳴を上げて、耐えきれず、ついに食べるということをした。

 

自分にとってカルマがたどったコースは、このままでは一生からだの痛みで夜眠れないひとになるが、それは困るので、食べる勇気を出した。

 

わたしには、栄養のバランスよく、それなりに規則正しく、腹七分八分で食べるということは、勇気のいることであった。

 

あるひとたちには、食べることは、勇気を必要とする。

 

ひとそれぞれにカルマのたどるコースがあるのだろう。 そのひとは、まだどん底をなめていないということか?

 

難しい。 沈殿しているなにかたちが、彼女を離さないのか? 

 

カルマは一生かけてやれるところまでやるしかないのかもしれない。 なにをやってもよくはなっていないのが現状であれば、それをうけれて、これからもいろいろ工夫して、宇宙の叡智をお願いしながら、あきらめず、やれることをやっていく。

 

たましいを幾重に覆っているようななにかたちですが、彼らが離れないのは、ひとつには、本人がそのほうがいいから、ではないか?

 

そのほうが楽だから、か? 働かずひとに寄生して、ひとのせいにして、自堕落に生きているほうが楽と想うたましいもいるでしょう。 犯罪者になっていくひとは、どんどんなっていく。 嘘もつく。 金もぬすむ。 ニューメキシコの場合、刑務所にはいっている多くのひとが、心の病を抱えるひとたちである。

 

苦労したくない。 傷つきたくない。 自分の力で生きていく自信がない。 自分がこうなったのは、全部  ・・・ のせいだ! 怒り! 回りが悪い。

 

素直ではない場合。 素直ではないので、なかなかにメッセージが届かないようなところがある。 コミュニケーションが難しい。

 

自分の力ではどうしようもない時がある。

 

宇宙やひかり 地球に助けて頂くしかない時がある。

 

 

仏間によくひかりが映る。 仏のひかりのようなものも、力になってくださると想う。 

 

こころの病 暴力 はおおきな課題と想う。

 

プロのひとたちも、みな一生懸命やってくださっている。 医者は、薬を出し、年給に必要な書類を書いてくれ。 ソーシャルワーカーは、本人が家を出る気持ちがないので、家族が家を出る方向で提案をしてくださる。

 

こころの病の難しさは、警察は介入しにくいので、問題がエスカレートしがちというところにあると想う。 それで、家族内で殺人が起こったりする。 その前に怪我のレベルでいろいろあったも、家の狭いところに一緒に住んでいると、うつ手もなかなかない感じである。

 

カルマの働きを感じるのは、わたしの中に、自殺されることを恐れる意識があるのを感じるからでもある。 自分が自殺したことがあるか、自殺されたことがあるか? こころの病を持つ自分であったか、心の病を持つ家族に自殺されたか。 そのような経験が自分のたましいの中にあり、いままた現世で、心の病のテーマが出てきているかもしれない。

 

 

 

歌を歌っている。

 

うつうつとする時は、気晴らしも必要ですが、ひとり暮らしゆえ、ひとと話すこともままならず。 声を出すのがいいでしょうと、Youtubeにあわせて歌を歌っている。

 

これがなかなかいいので、今度日本に行く時は、妹にカラオケなるものに連れていってもらおう。

 

花は咲くを、上から下まで声が出て歌えるようになりたいです。 しばらく歌を歌っていなかったので、声が出なくなりました。 歌っているうちに、声も出るようになるかも。 若かりしころは、のどじまんで、ラジオに出たこともあるのよ。 

 

精神のバランスを崩しやすい家系、家族ではあるが、(そういうたましいたちが集まってくるのだと想うが)、精一杯がんばっている家族もいる。 

 

努力して、精神力、体力、協力力をつけようとしている家族たちから、アプローチを続けたい。

 

まず自分が強くあること。 明るくあること。 気力、体力、協力力も。

 

すれば回りも明るくなる。

 

精神が病んでくると、だんだんお話しにならなくなるので、ある意味わかりやすい。 お話しになる、コミュニケーションができるひとから、アプローチをする。

 

こころの病気ではないかと想う家族をみていて、かれらのたましいの回りを幾重にまいている、あのエネルギーたち (霊たちもいる)が晴れないと、なんともならないだろう。

 

問題は、あの雲のようなエネルギーたち (霊たち)を、本人たちの魂が、本当に、いなくなってほしいと想っているか、どうか、です。

 

かれらはいろいろな欲望を持っている。 ひとに認めてもらいたい。 (努力せず、傷つかず)。 裏返しに、ひとをばかにするチャンスをつねにねらっている感がある。 優越感を持ちたいのか? それが自信と勘違いをしているのか? 楽して達成というのは、現実でしょうか? 楽に達成できる時もありますが、困難に直面してにっちもさっちもいかない時もあり、そういう時に、持ちこたえる能力は必要と想います。 なんでもあきらめてしまっていると、達成は難しいと想います。

 

欲望。 ひとのこころの欲望に働きかけることは、ひとにできるのか? それはそのたましいそれぞれのやりかたと時間のかけかたに、まかせるしかないのか? なにかひとにできることはあるのか?

 

2012年にサイクルが終了し、2012年秋から新しいサイクルにはいっている。 2012年秋くらいまでに、思いつくことがすべてやってみたが、あまり変化がない。

 

いまはリセット状態になっている。 あらたな気持ちで、カルマの解決に向けて、自分はなにか役にたっていけるのか、模索は続く。

 

ひとつ Eureka わかったことはある。

 

自分の耳鳴りが治らないので、なんで?(なぜ?)と宇宙のみなさんに聴いた。

 

治るのではなく、管理 マネジメント すれば よろしいのでは? 

 

そのように言われるので、納得ではある。

 

治らないものは、管理 マネージ すればよろしい。

 

自分の耳鳴りとつきあってきて、そういうことは、観えてきた。 わたしなりにわかってきた。

 

治らないものは、管理する。

 

耳鳴りと自分なりに上手におつきあいをしていく、ということですね?

 

たましいの徳

 

たましいの持つ徳というものはあるかもしれない。

 

おいには、生まれた時からお坊さんのような霊がいた。 いまもいる。 写真にもオーブのように映る。 彼のたましいの徳ゆえに、彼は宇宙に助けられ、変化が自然におとずれるということか? 宇宙の恩寵がもたらされるように。

 

精神のバランスを崩しているひとを観ると、生まれた時にはエンジェルのようであり、エンジェルのようなものもいたが、いまはいない。 あるいはわたしには観えない、感じない。 宇宙の加護 恩寵がはなれているように見えるが、それはたましいがそれをしりぞけているからか? 拒絶をしているのか?

 

こころの病や暴力の問題を克服してこられているひとがおられましたら、どのようにしてこられたか、お話しをお伺いしたいです。 メールをいただければ嬉しく想います。 harmonion@gmail.com  どうぞよろしくお願いいたします。

 

パーソナリティ障害を抱える家族を持ち、なかなかに改善の兆しが観られないのは、辛いですが、それゆえに意識が深まっているところはあります。

 

パーソナリティ障害を持つ家族を通して勉強させて頂いている面はあります。 それに関して、いつも感謝しています。 家族にも、宇宙にも、感謝しています。

 

身近な家族を通して学ぶことは大きい。

 

家族のこころ (たましい) が開いて、話ができれば、変わってくると想う。 まずわたしのこころ (たましい) が開いて、家族と話ができるように、ひとつ大きくなることを求められているかもしれない。

 

仏陀だったら、キリストだったら、ダライラマなら、マザーテレサなら、こういう時どうされるのだろう? よく考える。

 

家族がこころを開かないのは、多分、わたしのこころが壁をつくっている、慈愛が彼らに伝わらないのも、原因かと想う。

 

成長したい。 大きくなりたい。

 

助けを求めている。

 

いいこともある。 辛いのでひとに助けを求めている。 わたしには回りにそれほどたくさんの相談できるひとはいないが、少しいる。

 

霊気の先生やチャネルの先生。 自分ではどうしようもなく、回りにヘルプを求めるというのは、こういう気持ちなんだなと、自分なりにわかったような気持ちがします。

 

こう・・カルマの根の深いところを相談できるひとはあまりいないし、相談されるほうも重い話なので、相談されるこころの負担もあります。

 

それであまりまわりのひとに助けを求めていませんでしたが、ここにきて、自分ではもう抱えきれないので、ひとに話すことにしました。 相談を求めることにしました。

 

きっとこれも学びだと想います。 どうしてもの時は相談する。 お金をお支払いするのがよい時は、ちゃんとお金をお支払いする。 長いつきあいだからと、友達つきあいにならず、けじめはつけたいです。

 

******************

 

ひとまかせにするのではなく、自分でやってみるということ。

 

これまでの発想は、プロの神官さんにお願いをして、ご祈祷、お祓いをして、たましいの浄化を願うというものだった。 ご祈祷、お祓いに頼っていた気持ちがあったと想う。

 

家族に出るこころの病や、からだの障害を、神にお願いをして、なんとかと想っていた。

 

ひととおりやってみて、心の病に関することは、一時よくなっても、その後更に悪化の道をたどっている。

 

どうもわたしの家系の女の霊たちは未浄化で、質が悪いと観える。 祈祷、お祓いで、人間が一時よくなろうとする、正気に返ると、女の未浄化の霊たちは、ならじと、ひきずり戻すかのようだ。 より一層生きている人間の意識の混濁が進む。 濁る。

彼女のたましいを取り囲む女の未浄化霊たちは、囲みを強化、深くする。 彼女のたましいと話がだんだんできなくなる。 彼女のたましいを、ぐるっと女の霊たちが囲んでしまい、話そうにも、話せない状況になっていくかのようだ。

 

こころの病の薬を飲むと、意識はさらに混濁する。 遊離する。 医者の処方箋の薬が、さらに、心の病に苦しむたましいを、混濁させる。

 

いままでは、神官のひとに頼りご祈祷、お祓いを繰り返してきた。 それは効かないことがわかってよかった。 一時よくなり、その後さらに悪化する。

 

それでは・・10月日本に行く時、わたしがやってみようと想っている。

 

自分の家族の女の霊たちがそこまで未浄化と認めたくなかったと想う。 でも、どうも女の霊たちが質が悪そうとわかってきて、わたしも、腹をくくらないといけない。

 

ほかのプロのひとにお願いすることばかり考えず、自分もプロだということを自覚しないといけない。

 

自分が出ていって、霊たちの浄化の役にたてるものか、生きている人間のたましいから離れるものか、生きている人間のこころの病がよくなっていくものか・・・ 自分がやってみる時が来ていると想う。

 

プロのひとにこれだけお願いして、悪化するばかりならば、だめもと、である。 自分がやってみる。 自分もやって、もっと悪くなるならば、またそれはそれで、そこから観えてくるものも、あるだろう。

 

とりあえずは、10月に生きている人間の本人が、浄化の場所に出てくるかです。 回りの霊たちは、行かせまいとすると想うので、本人が浄化の場所に出てくるように、これから工夫して、宇宙のみなさんと働きかけてみたいと想っている。

 

花を咲くを毎日歌っていますが、大きな声で歌うことで、自分の気持ちも晴れてきているように感じる。 気持ちが晴れると、インスピレーションもわく。 ハレルヤ!

 

 

ひかり 後藤王重

 

 

Namaste Peace Love

 

 

    

 

 

ひかり 後藤王重  ごとうきみえ

 

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アメリカ ニューメキシコ州 プラシタス

 

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日本語 Web http://www.harmonion.com/japanese.html

 

 

 

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